新型はまだか

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経済活動の再開が大切なのはその通りなんだけど、対応があまりにも雑。せめて制限のない移動は、いくつかのブロック圏内に留めておく姿勢は示しておくべきだ。

そして何より、ここまで頑張って来た専門家や現場の努力をなんだと思ってるんだろう。で、次からは山中教授と「富岳」に何を分析してもらうの?

私は、ただでさえ忙しい山中教授に、専門外でしかも責任の大きい仕事を頼もうとする姿勢が許せない。山中先生の心の健康が本気で心配。

スーパーコンピューター富岳にしても、シミュレーションは出来ても、未来を予測するのとは違う。そもそも基礎となるデータによって結果をコントロールできることは周知の事実。

iPS細胞研究チームのマネジメントまで抱えている山中教授のほうが、身軽な尾見先生よりもコントロールを利かせやすいだろう。「数理モデル」を世に知らしめた西浦教授よりも、富岳に権威付けをさせたほうが国として都合が良いだろう。あんなにびびってた国民も布マスクでおとなしくなったしな、やるなら今のうちだぜエッヘッヘ。みたいなこれまで通りのノリが、私には新型コロナより怖い。

投資か馴れ合いか

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 景気対策として、全力で株式市場や債券を支えたいのは分かるんだけど、これで助かるのは主に上場企業と投資家。果たして、どれだけ世間に回るのか。実際は、お金というか数字が行き来しているだけだし、多くの人は実感持てない。交際費使うわりに成果に結びつかない経営者とか営業みたいなものだと思うけど違うんかな。

 日経平均株価と為替だけで経済を語る人が多いのにも原因はあると思うけど、ちょっと緩め過ぎでしょう。こればかりに頼ってると、持てる者ばかりが恩恵を受けて、格差は広がるばかり。

 建前上は日銀は政府から独立しているとは言っても、現政権ではとてもそうは思えないし、とりあえず株価だけは維持するから、持たざる者は10万円片手に一発逆転狙ってみろって?

 go to なんとかで旅行に出かけるのも結構だけど、今こそ初心にback to で教育や基礎研究にお金使わないと、みんな10年後には帰る家なくしそう。 

 国民に教育を受けさせる義務を課しながら、学校に通えない状況でもIT技師や支援要員のヘルプすらない国だし、帰らない理由にはなるかな。

抜きつ抜かれつ

給付金業務の受託団体さらに850億円発注か 二次補正

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 国の事業を電通が中抜きをして儲けているのは蜜です!みたいな批判があるのですけれど、この背景には、多分安倍政権下で、

 ①経済産業省の力(経済界とのつながり)が強くなって、事業・予算規模が大きくなった

 ②かねてからの公務員削減と昨今の働き方改革等により慢性的な人員不足

 ③非正規雇用や外部委託の増加によるスキル承継難(実務系ベテラン職員の減少)

 ④外郭団体への事業委託(実質的な下請行為)が天下り批判でしにくくなった

 ⑤国と同じく地方公共団体の人員不足と物言う知事の増加

 ⑥国によるメディア戦略の強化

みたいなことがあったから。

 そもそも、国(経済産業省)には、事業をこなす人員が足りないからといって、事業の延期や中止という選択肢はないのです。となると、業務を請け負える能力があって、しかも気心が知れた相手(!)なんて、おそらく電通(グループ)以外にはないんだから、多少のことはしょうがないじゃない?みたいな意見には一理あると思うんです。

 道義的な話となれば、過労死やオリンピック関連で数々の問題が指摘されている電通は、国の事業を任せる相手としてふさわしくないです。国民は委託先を選べないということに対して、国(政治)はもっと責任を持つべきとなって当然。だから、堂々と電通と随意契約というのもこれまたどうぞ追求してくださいと言わんばかりになってしまいます。(当然事業はストップ)

 結局、電通だけを悪者にして叩いたところで、現場が疲弊するだけ。その間にも、次々に勢い任せの新規事業が下りてくるんだから、現場は抵抗するだけ無駄なんです。自分の意志など持たずやるしかないんです。こんな状況で現場の誰が責任などとれるでしょうか。おそらく他省庁でも同じようなことが起きているのでは?

 そして、外部へと出された仕事は、当然元請けだけで完結するはずもなく、孫、ひ孫へと次々にどんぶらこっこされるのですが、おそらく本当に中抜きを問題とするならばココ!です。聞こえますか、野党やマスメディアのみなさん。

 適正な価格・条件で末端まで仕事が行き届いているなら、電通さんとの蜜云々は置いといて、少なくとも本来の景気・雇用対策にはなっているのですから、絶対悪ではないと思うんです。私はここのルール作りこそ、早急にすべきと思います。

 もちろん、中長期的に見れば、人材育成や機密性の観点からも、安易な外部委託はすべきではないです。

 こんなことばかりしていたら、日本中“やってる感”だけの、中身のないものだらけになってしまいますよ、例えばこんなのとか。

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 建前上は、新型コロナウイルス絡みの社会貢献みたいになっていますけれど、本来はメディアの良心となるべき大手新聞社が、マーケティングのプロジェクトに実質的に協力するってどうなの?いったい人の悩みをなんだと思ってるわけ?

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 どうせなら文春さんに協力してあげてください。

少し違う。>生活保護 住居失う前に申請を


生活保護 住居失う前に申請を - Yahoo!ニュース

 この内容は正確ではないのでは?生活保護を申請するタイミングとして、「住居を失う前に」はその通りですが、アドバイスとしては内容がちょっと雑な気がします。

 まず、基本的なところとして、生活保護の審査・決定をするのは厚生労働省ではなく、最寄りの福祉事務所です。小さい町や村にはないことが多いですが、役場の福祉担当課が窓口になっています。

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 申請後14日以内(理由があれば30日以内)に通知を行うのは、生活保護受給の“可否”であって、当然“否”になって受給できない場合もあります。

 先の記事ですと、とにかく「生活保護申請しちゃいなよ!お金出るよ!」みたいにも読めますが、実際には、そう簡単でもないはずです。

 福祉事務所というのは、なかなかのくせ者でして、全国一律なようで実際は、地域性のようなものが存在します。そして、いい人に当たればすんなりと受理されますが、運が悪ければと何かと理由をつけて申請を断られたりすることもあります。

 ルールは同じなはずなのに、運用する者によって結果が変わる、、、地味に恐ろしい現実ですね。

 

 本来、生活保護自体はシンプルな制度です。所持金数万円(預貯金含む)程度ですぐに現金化できる資産がなければ、ほぼ間違いなく適用される、、というか適用しなくてはいけません。理由は簡単、憲法第25条で保障された生活水準に満たないからです。

 「若いからダメ」「働けるからダメ」「親族がいるからダメ」「車があるからダメ」「家があるからダメ」などはよく聞かれる話ですが、正しい運用は、現に困窮していれば一旦保護を開始して、他に収入が確保されれば停止(または廃止)です。

 ですから、場合によっては、受給開始後に受け取った生活保護費を返還しなければならないこともあります。(※あとで本人の知らない資産が見つかった、急に援助者が現れたなど)

 記事中の、“受給決定までの期間が早くなった”というのは、これまでは受給決定前に行っていた「資産調査」「扶養義務調査」を後にしているだけなので、とりあえず申請すればもらえてOK!という話ではありません。生活保護が本来あるべき運用方法に近づいたというだけのことです。

 ここで確認ですが、ポイントは、相談時に受給要件を満たしているかです。細かい計算は省きますが、あなたがもし、国民年金の月額満額相当(約6万5千円)以下の所持金しかなく、今後もそれ以下の見込みならば、担当者は速やかに生活保護を開始しなければなりません。

 しかし、生活保護になれば、あなたは今の場所に住み続けられるとは限りません。緊急時を脱すれば、持ち家(マンション)であれば売却、賃貸なら家賃の低い場所へ移るように“指導”されるはずです。

 記事中にあったように、確かに生活保護を受給すれば、住居の心配はなくなります。しかし、希望の場所に住み続けられるかどうかはまた別問題です。冷たいようですが、そこから免れることはできません。(※「今は無理」な理由があれば、しばらくは“指導”に従えなくても大丈夫です。)

 言い方を変えれば、住居があるうちはまだ生活保護以外にも選択の余地があります。住居がなければ、生活保護で最低限の生活を確保し、そこから人生の再スタートを目指すしか、実質方法はないと思います。はっきり申し上げて、無理にお金を借りたりするよりも、中長期的には絶対そのほうが良いです。

 ホームレス生活は決して、決してラクではありません。健康状態に自信のない方ならなおさらです。医療費の心配もなくなります。

 

 考え方は人それぞれですが、私は住居を失いそうなだけであれば、生活保護申請の前に利用できる制度は利用しておいたほうが良いと思います。実際、生活保護担当によっては、先に他の機関(リンク先 ⇒「自立相談支援機関 相談窓口一覧」)へ行くように促されることもあると思います。

 どちらにしろ、次々に出てくる(新型コロナウイルス関連の)支援策を理解するには、時間も手間もかかり過ぎるので、とりあえず専門機関に委ねてみるほうが良いことのほうが多いと思います。(※できれば2、3ヶ所)

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 あと、裏技的ではありますが、政党や議員事務所に相談に行くのもありです。最●の助っ人になるかどうか、これこそ運次第かも知れませんけれど。

揶仕草香折

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 現職の国会議員が、市民からのメールを“不幸の手紙”と表したことが問題視されているみたいだけど、私は彼女のツイートの「ww」「!」の使い方のほうが気になる。すごい気になる。

 (問題になったツイート)

足立康史議員もおっしゃってましたが…途端に増えました。

「検察庁法賛成なら次の選挙で対立候補にいれますよ」メール。

中には「今回はあなたに入れてないが今回次第では次の選挙で応援します」という正直な方まで(投票しますとは言わないとこ、ポイントww)

昔流行った不幸の手紙を思い出します。

 

 (返信ツイート)

「今回の件で、どうしても梅村議員に聞いて欲しいと思った形の願いを踏みにじる行為ではないですか?」とのTwitterのコメントに対し、梅村議員は「本当ですね!少し悲しくなって…逆にメールの送り主さんを悲しませることしてしまいました。気をつけます!」と返信している。

 

 「w」の見下してる感、「!」の勢いで終わらせたい感、すごくない?

 大事なとこって、細かいとこに出るよね。

 

 (ついでに言うと、笑いを表す記号として「w」を使っている時点で、ああこの人は、普段からネット弱者のことは考えてないんだろうなぁと思いました。)

お仕舞い


「日本人はなぜアマゾンに怒らない」潜入ジャーナリストが暴く現場の絶望 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン

 こういう潜入ルポは、組織に縛られないフリージャーナリストならでは。

 そして、現状を知っても、なるべく「お急ぎ便」を使わないくらいしかできない私(プライム会員)。。

 普段世話になっていながら、いざ彼らに何かあったときには「自己責任」で片付けてしまいそうで恐い。

 どうですか?

www.amazon.co.jp

本名です

 今回は右側のオリザさんについて。

news.yahoo.co.jp

 演劇って、国が保護しないと消えちゃうものなの?私は、こっちを消してもあっちで火が付くのが演劇だと思ってました。

 エンターテインメント産業っていう位置づけなら国策として保護も分かるんだけど、芸術や思想性を前面に出されてもなぁ、、というのが一般的な感覚ではないかな。

 実は私もどちらかと言えば、オリザと聞いて左側をイメージしてしまうような人間です。平田オリザ氏は間違いなく良識ある方だし、演劇界のことを心から心配していることはわかります。

 でも、喩えとして適当かはわからないけど、「新聞を教育現場に活用しよう」とかと同じにおいがする。もっと言えば、「道徳の教科書」的なにおい。

 この朝日新聞の記事を読んで、私の母(70代)は「そのとおり!」と言って、私にも「読んだか?」と聞いてきました。それくらい、響く人には響いているので、オリザ氏には、発言に自信を持ってもらいたい。しかし、それ故の鳩ポッポ感は拭えません。こういう方こそ、狡猾な事務局長的な人が側で支えて、演劇のことだけに集中させてあげて欲しいです。

 

 ところで、今回のことに限らず、業界独自の保険的な仕組みの設立について国に支援を働きかけることなどは考えなかったんかな。(そういう話は昔からありそうだけど。)

 これからは入場料の一部や寄付金を基金に回すようにするから、国も一時的に補助金を入れてくれないか?とか、公共系の啓発(政府系CMや広報番組)やNHKの出演者に、大手事務所のお笑い芸人やタレントではなく、演劇界の人材をもっと採用してくれないか?とか。他にもアプローチの仕方は、いろいろとあると思う。

 いずれにしても、もともと不安定な業界なんだから、備えもなしに好きなことをやり続けるって言うのは、芸術や文化に理解を求める以上に難しいことだろうな。仲代さんの無名塾は大丈夫かな。。

思い出はプライスレストラン

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真面目な話、メディア露出とか給付金額の多さで評価しちゃうのは仕方ないとは言え、あとで全部自分に返ってくることは覚悟しないと。

時間も金も有限なんだから、緩めた紐は締めるしかない。で、何に一番お金も手間も掛かるかと言えば、人ですよ。

で、この「人」をいかにももっともな理由を付けて減らそうとする代表格が、今の日本維新の会や現自民党中枢の人たち。ただ、自民党の場合は、党自体が大きい分ある程度ブレーキが掛かる可能性はあるかな。

維新系がよく持ち出すのが「自己責任論」。一見正しい、そしてわかりやすい。私も全てを否定するつもりはない。しかし、そもそも前提条件の違う人を結果だけで判断することがフェアなのか?結果を重視するならば、プレイヤーの前提条件を同じに近づける努力こそが、政治の役割なのではないか?政治家は審判になってはいけない。私はそう思う。

そして、現自民党中枢(とそのお友だち)の人たちがよく持ち出すのが、「愛」やら「絆」。要するに、「自己犠牲」の精神だ。これも、一見正しそうに感じる。しかし、人間誰しも我慢には限界がある。そのとき愛は憎しみに変わり、事態の逆回転が始まる。そのとき権力者は、負のメガパワーを外に向けさせようし、最後に行き着く先は、戦争である。これは歴史が嫌と言うほど証明している。愛は尊く、そして危うい。

政党と言うのは、基本的には同じ考えを持った人の集まりだから、政党色の濃いリーダーというのは、最終的に党の主張に沿った政策をとると考えるべき。例えば、大阪都構想は、本当に大阪府民のことを考えてのものなのか。党名に“日本”を冠した時点で、天下統一への踏み台にされようとしていることに気付くべきではなかったか。かつて大阪が好きだった人間としては、そう思えてならない。

だからといって、今の他の野党のみなさんを支持できないのが悲しいところ。揚げ足と人気取りに終始して、結局埋没している。この作戦は、スーパーの安売り競争みたいなもので、毎週毎週目玉商品を出しては客を集めようとするが、結局大手には敵わない。先週何がいくらだったかなんて、買う方はいちいち覚えていないもの。

価格競争の行き着く先は、今どこが一番安いか、価値基準がそれだけになってしまういわゆる「デフレマインド」の常態化である。こうなっては、体力のない中小は、大手に絶対に勝てない。だって、安さ以外求めていないんだもん。

この状況を脱するには、新しいニーズを生み出し実績を積み上げるしかない。必要なのは、何よりも長期的ビジョンの大きさとそれを実現するスピード感。今の野党にはこれがない。顔ぶれと、やってることの既視感ときたら、卵1パック98円セールどころじゃない。そして、馴染みのお客さんから期待感を無くさせたらもうそれこそ“自己責任”を受け入れるしかないですよ。私は言いたい、「周りをよく見なさいよ、自分たちこそ周りに“お友だち”以外いないんじゃないの?」と。

 

それで、実はここからが当ブログの本筋なんですけど、「ジャーナリズム」っていうのは、今どこが一番安いかを伝えるものじゃないと思うんです。今の(昔からだけど)マスメディアって、先のスーパーの例で言えば、今日の目玉商品を伝える「折り込みチラシ」みたいなもの。

あなたたちが伝えるべきは、なぜ98円で売られているのか?その本質でしょうに。そこに関心を持たせられなければ、あなたたちは永遠の比較.comですよ。

私は、自分がかつてマスコミ業界で働くこと憧れ、夢破れたから言うわけじゃないんですけど、今こうしてインターネットの片隅で好きなことを書ける身分で良かった。もし、夢を叶えていたなら、今頃きっと自分が最前線で世論を作り上げているくらいの勘違いはしていたはず。とてもご先祖様に顔向けできません。

それでも、しっかりと本質を伝えようとしている人は必ずいて、そういう人や情報にアクセスできたときの喜びは、欲しかったものが驚きの値段で目の前に飛び込んできたかのような神々しさとありがたさです。

 

というわけで、なんだか吉村知事のおかげで、長年の思いの丈を言い尽くしてしまった感がありますが、今回が最終回にならないように、なるべく続けていこうね俺。