目に見えるものが全て

news.yahoo.co.jp

 私には法律的なことは、詳しく分からないのですが、やはり管政権は安倍政権の延長線上にあるので、ルールや慣例を自分たちの都合良く解釈する(そして押し通す)傾向は変わりないようです。

 例えば条文が細かく規定されていなかったりする場合、そもそもの成り立ちに大切な要素が詰まっていたりします。政治家や官僚は、条文に明記されることがどれだけ拘束力を生むかを知っているので、議論に議論を重ねた結果として(良いか悪いかは別として)曖昧にしていることがあります。国際会議などでも、言い回しひとつで共同宣言がまとまらないことはよくあります。

 安倍政権は、決まり事を軽視しているのではなく、重視しているからこそ、記録を残そうとしてきませんでした。それだけでなく、既存の文言の曖昧さを利用して、都合の良い解釈をしてきました。これは、安倍政権や管政権に限らず、節税やポイント獲得のテクニックは正義みたいな世の中の風潮にも現れていて、地味なようだけど、個人的にはけっこう深刻な事態ではないかと思っています。

 さて、記事の内容に戻ると、学術会議の委員の任命については、条文の表面的な部分だけを見れば、確かに「任命する以上は、任命する側にも責任があり、任命できない場合もあって当然」となってもおかしくないのですが、これまでの常識で考えれば、個人的なイデオロギーと学術成果とは切り離されるべきであるという考えが共有されていることが前提だから、「任命」は実質的な「追認」だよね、まあ、そうは書けないから書いてないけどね。ってことになります。

 そのようなことを権力者が知っててやっているという小物感も問題だけど、日本は帝国主義でも共産主義でもない、民主主義の国なんだから、気に入らない奴は排除すると思われるようなことは、少なくとも公的な立場の人がそれを言っちゃあお終いよじゃない?

 それこそ見た目は違うけれど、リーダーシップと権力濫用を混同しているトランプ大統領と根っこは同じなんでしょうね。ビジネスライクな自分に酔っている感じとかも。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 2020.10.5  一部「任命」を「推薦」と書いてしまっていたので、修正しました。お恥ずかしい…。