思い出はプライスレストラン

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真面目な話、メディア露出とか給付金額の多さで評価しちゃうのは仕方ないとは言え、あとで全部自分に返ってくることは覚悟しないと。

時間も金も有限なんだから、緩めた紐は締めるしかない。で、何に一番お金も手間も掛かるかと言えば、人ですよ。

で、この「人」をいかにももっともな理由を付けて減らそうとする代表格が、今の日本維新の会や現自民党中枢の人たち。ただ、自民党の場合は、党自体が大きい分ある程度ブレーキが掛かる可能性はあるかな。

維新系がよく持ち出すのが「自己責任論」。一見正しい、そしてわかりやすい。私も全てを否定するつもりはない。しかし、そもそも前提条件の違う人を結果だけで判断することがフェアなのか?結果を重視するならば、プレイヤーの前提条件を同じに近づける努力こそが、政治の役割なのではないか?政治家は審判になってはいけない。私はそう思う。

そして、現自民党中枢(とそのお友だち)の人たちがよく持ち出すのが、「愛」やら「絆」。要するに、「自己犠牲」の精神だ。これも、一見正しそうに感じる。しかし、人間誰しも我慢には限界がある。そのとき愛は憎しみに変わり、事態の逆回転が始まる。そのとき権力者は、負のメガパワーを外に向けさせようし、最後に行き着く先は、戦争である。これは歴史が嫌と言うほど証明している。愛は尊く、そして危うい。

政党と言うのは、基本的には同じ考えを持った人の集まりだから、政党色の濃いリーダーというのは、最終的に党の主張に沿った政策をとると考えるべき。例えば、大阪都構想は、本当に大阪府民のことを考えてのものなのか。党名に“日本”を冠した時点で、天下統一への踏み台にされようとしていることに気付くべきではなかったか。かつて大阪が好きだった人間としては、そう思えてならない。

だからといって、今の他の野党のみなさんを支持できないのが悲しいところ。揚げ足と人気取りに終始して、結局埋没している。この作戦は、スーパーの安売り競争みたいなもので、毎週毎週目玉商品を出しては客を集めようとするが、結局大手には敵わない。先週何がいくらだったかなんて、買う方はいちいち覚えていないもの。

価格競争の行き着く先は、今どこが一番安いか、価値基準がそれだけになってしまういわゆる「デフレマインド」の常態化である。こうなっては、体力のない中小は、大手に絶対に勝てない。だって、安さ以外求めていないんだもん。

この状況を脱するには、新しいニーズを生み出し実績を積み上げるしかない。必要なのは、何よりも長期的ビジョンの大きさとそれを実現するスピード感。今の野党にはこれがない。顔ぶれと、やってることの既視感ときたら、卵1パック98円セールどころじゃない。そして、馴染みのお客さんから期待感を無くさせたらもうそれこそ“自己責任”を受け入れるしかないですよ。私は言いたい、「周りをよく見なさいよ、自分たちこそ周りに“お友だち”以外いないんじゃないの?」と。

 

それで、実はここからが当ブログの本筋なんですけど、「ジャーナリズム」っていうのは、今どこが一番安いかを伝えるものじゃないと思うんです。今の(昔からだけど)マスメディアって、先のスーパーの例で言えば、今日の目玉商品を伝える「折り込みチラシ」みたいなもの。

あなたたちが伝えるべきは、なぜ98円で売られているのか?その本質でしょうに。そこに関心を持たせられなければ、あなたたちは永遠の比較.comですよ。

私は、自分がかつてマスコミ業界で働くこと憧れ、夢破れたから言うわけじゃないんですけど、今こうしてインターネットの片隅で好きなことを書ける身分で良かった。もし、夢を叶えていたなら、今頃きっと自分が最前線で世論を作り上げているくらいの勘違いはしていたはず。とてもご先祖様に顔向けできません。

それでも、しっかりと本質を伝えようとしている人は必ずいて、そういう人や情報にアクセスできたときの喜びは、欲しかったものが驚きの値段で目の前に飛び込んできたかのような神々しさとありがたさです。

 

というわけで、なんだか吉村知事のおかげで、長年の思いの丈を言い尽くしてしまった感がありますが、今回が最終回にならないように、なるべく続けていこうね俺。